WONDER WORLD

何笑ってんだ

呻き声

 

 

他人の不幸は蜜の味

 

表立って言う人はあまりいない

本当に思ってない人もいるかもしれない

 

ここからの話は残念だけど自分が例外だとは思えない

間違いなく「他人の不幸」は大なり小なり人の心を慰めてくれる。そうして自分自身を保ってく。

必ずしも絶対的に不幸でなくても良い。老人・子ども・障害者でもいいし、性格が合わないだとか容姿が良くないだとかで異分子を作り出して攻撃する。異分子は「攻撃対象」対「攻撃者と仲間内」の構図で、仲間内とは何かが違う。違いは些細なことで十分。そして、その違いをあたかも不幸かのように仕立てて相対的な幸福を見出す。卑怯なことで。これはごく一般的な話で、ひとつの仕組みのようなものとして成り立ってる。

抗う力のある人は不幸のレッテルを自分の力で剥がせば良いかもしれない。そうでない者はどうしたら良い?反発する機会もなく、抵抗の選択肢を知らず育った人はどうなる?他人から貼られた不幸のレッテルがいつのまにかレッテルなんて易しいものじゃなく、事実として心に食い込んでくる。

だから自分は不幸のレッテルを貼り続けて幸せになろうとしたあいつらを絶対に許さない。思い込みも、思い込み続けたらいつかは事実にすり替わる。

 

歪つな自分はもう変われない。

卑しい世界はこれからも誰かの不幸を蜜に幸せを味わう。

 

 

急に古いことを思い出してブワァァァァって書いたからもう収集がつかない。二度と読み返したくない。大丈夫。過去に生きるな。明日からもちゃんと自分だ