WONDER WORLD

何笑ってんだ

あなたはどちら?

 

 

 

ヨルシカが大好きで今日は新譜の発売日です。同時に次にフルアルバムの発売が発表され、「個人」としては歓喜です。

ただどうしても気になるというか、モヤモヤするのは、その歌詞に見える作詞作曲を務めるボーカルが放つ劣等感と自虐・自嘲です。初期からかなり話題になっていたけど、ファンが増えれば増えるほど彼女の心は空っぽになるのでしょうか。不思議です。大衆に認められる素晴らしい音楽を作れてもなお、自己肯定感や孤独感は拭えないのでしょうか。ヨルシカの虚無感には共感できますが、彼らの満たされない心には共感はできません。ただ、ヨルシカの曲が好きであって、ヨルシカが好きとは言えません。

話は変わって、ヨルシカの歌詞にたまにに出てくる「詭弁」といった言葉が異様に気になります。以下の二つです。

『涙が人を強くするなんて全部詭弁でした』

『晴れも夜祭りも関町の街灯も 雲も逃げ水も車に構えた歌詞観も詭弁だ』

詭弁の意味は「道理に合わない、言いくるめの議論。ごまかしの議論。」とのこと。つまり、誤りの事柄を正しいかのように、ある意図をもって行われる論理破壊です。個人的に、その意図には悪意を感じざるを得ないのですが、「涙が~」の部分は情的な慰め(?)である以上そういうと言い切れないでしょう。類義語に「誤謬」があります。本来はもっと複雑な意味ですが、ここでは「詭弁」の対比として「意図的ではない」「詭弁」といえるでしょうか。強引すぎる気がしますが、自分の理解力ではまとめられません。

その二つの言葉を踏まえて言いたいのが、自身も含め世の中に、自身の周りに会話のできない人が多すぎて疲れてしまいます。お互いの話をしているときに第三者の話を引き合いにされたりとか、「参考として」ではなく、確証バイアスの働きまくった詭弁を持ち出されると、頭の悪い自分は丸め込まれてしまいます。意図のある(詭弁)ない(誤謬)に関わらず、話が飛躍しまくる人は苦手です。

 

 

 

 

だから僕は音楽を辞めた

だから僕は音楽を辞めた

  • ヨルシカ
  • ロック
  • ¥200
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